田中光四郎 短歌集 「あるがままなすがまま」


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田中光四郎短歌集 あるがままに・なすがままに 田中光四郎 (たなかこうしろう) 1940年福岡県田川市に生まれる 1962年神奈川大学法学部貿易科卒、ジャパン・エキスプレス入社 1967年ジャパン・リソーシス・コーポレーション代表 1985年ソ連軍のアフガン侵攻に義憤を覚えイスラム聖戦士ムジャヒディンに単身参加、以来6年余にわたり義勇軍最前線で戦う 1987年第1回国際親善松本昭重会長杯争奪弁論大会社会人の部優勝文部大臣賞 1991年古賀不二人先生より不二流宗家を継承 1994年広島アジア大会にアフガンから30名の選手団自費で招待 1995年日本古来の刀法、体術、棒術、短刀術を元に自らの流派・日子流を立ち上げる 2003年バグダッドでの人間の楯に参加 主な著書に「照準の中のソ連兵」(ジャプラン出版)、「不二流体術」(壮神社)、「アフガンの侍」(福昌堂)、「日子流体術目録技解説」(壮神社) 田中光四郎先生は「アフガンの侍」として武人の顔が広く知られています。2019年12月長年医療活動を続けてきた中村哲氏が何者かに銃撃,殺害され、今年8月アメリカ軍の撤退にからみタリバンが攻勢を強め、アフガニスタン政府が突然崩壊、海外に逃避する人々の混乱、そしてタリバン新政府の過激なイスラム法統治への恐怖、混沌とした状況が続きます。帝国の墓場と言われる彼の地で義勇兵として想像すら困難な環境の中でソ連軍を相手に戦い続けた田中光四郎が記した短歌から彼の思いを感じ、読み取って欲しいと思います。中村医師の医療活動もJICA国際協力事業もその前には銃を片手に「命を捧げ地ならし」をした多くの人々の働きがあってのものでした。 短歌を大きく分類すると、1)戦いに関するもの 15%、2)風景情景徒然の思いに関するもの70%、3)尊敬する人物に関するもの5%、4)妻子両親に関するもの10%の比率になる。 P.17 「傷つきし 友を背負ひて 泪しつ 重き足音 ただひたすらに」 地雷を踏んで負傷死亡した友を交代しながら担ぎ帰る P.28  「待つ君の 花折りかざす 黒髪の靡く陽炎見ゆ この風や美し」 国に残してきた妻への思いを歌に託して P.41 「大君を 思いて悲し 草枕 東の方見る 涙せし後」 昭和天皇崩御の知らせに P.60  「イグダラクに やすみし乙女 親心 遥か晴れ着の 煙偲びて」 地雷で亡くなった報道カメラマン南條直子の母親の願いを叶える P.66 「民集う アジアゲームの おもしろさ アフガンが行く 我も援(たす)けん」 広島アジア大会に自費でアフガニスタン選手団30名を招待(写P126,127) 義勇兵、戦士としての側面が取り上げられることが多いが、このような偉業も実現した。 1995年日子流を創始してからは海外からも日子流を学びたい希望があり、先ずはハンガリーのブダペストに支部が置かれ毎年のように指導に出向き、チェコ、ドイツなどに活動の場が広がっている。 P.120 「鎖橋 悠々たるや ドナウ川 明けゆく空に 水鳥の鳴く」 ブダペスト日々の早朝の稽古の折に P.133 「在るがまま 成るがまま見る 行先に 為すがまま生く 思ひ背負て」 田中光四郎短歌集は本人が訪ずれたアフガニスタン各地の地図、多くの写真とともに本人の口からは聞くことがない心情が記されている。この短歌集はロマンチストな武人、田中光四郎の半生記である。
田中光四郎短歌集 あるがままに・なすがままに 田中光四郎 (たなかこうしろう) 1940年福岡県田川市に生まれる 1962年神奈川大学法学部貿易科卒、ジャパン・エキスプレス入社 1967年ジャパン・リソーシス・コーポレーション代表 1985年ソ連軍のアフガン侵攻に義憤を覚えイスラム聖戦士ムジャヒディンに単身参加、以来6年余にわたり義勇軍最前線で戦う 1987年第1回国際親善松本昭重会長杯争奪弁論大会社会人の部優勝文部大臣賞 1991年古賀不二人先生より不二流宗家を継承 1994年広島アジア大会にアフガンから30名の選手団自費で招待 1995年日本古来の刀法、体術、棒術、短刀術を元に自らの流派・日子流を立ち上げる 2003年バグダッドでの人間の楯に参加 主な著書に「照準の中のソ連兵」(ジャプラン出版)、「不二流体術」(壮神社)、「アフガンの侍」(福昌堂)、「日子流体術目録技解説」(壮神社) 田中光四郎先生は「アフガンの侍」として武人の顔が広く知られています。2019年12月長年医療活動を続けてきた中村哲氏が何者かに銃撃,殺害され、今年8月アメリカ軍の撤退にからみタリバンが攻勢を強め、アフガニスタン政府が突然崩壊、海外に逃避する人々の混乱、そしてタリバン新政府の過激なイスラム法統治への恐怖、混沌とした状況が続きます。帝国の墓場と言われる彼の地で義勇兵として想像すら困難な環境の中でソ連軍を相手に戦い続けた田中光四郎が記した短歌から彼の思いを感じ、読み取って欲しいと思います。中村医師の医療活動もJICA国際協力事業もその前には銃を片手に「命を捧げ地ならし」をした多くの人々の働きがあってのものでした。 短歌を大きく分類すると、1)戦いに関するもの 15%、2)風景情景徒然の思いに関するもの70%、3)尊敬する人物に関するもの5%、4)妻子両親に関するもの10%の比率になる。 P.17 「傷つきし 友を背負ひて 泪しつ 重き足音 ただひたすらに」 地雷を踏んで負傷死亡した友を交代しながら担ぎ帰る P.28  「待つ君の 花折りかざす 黒髪の靡く陽炎見ゆ この風や美し」 国に残してきた妻への思いを歌に託して P.41 「大君を 思いて悲し 草枕 東の方見る 涙せし後」 昭和天皇崩御の知らせに P.60  「イグダラクに やすみし乙女 親心 遥か晴れ着の 煙偲びて」 地雷で亡くなった報道カメラマン南條直子の母親の願いを叶える P.66 「民集う アジアゲームの おもしろさ アフガンが行く 我も援(たす)けん」 広島アジア大会に自費でアフガニスタン選手団30名を招待(写P126,127) 義勇兵、戦士としての側面が取り上げられることが多いが、このような偉業も実現した。 1995年日子流を創始してからは海外からも日子流を学びたい希望があり、先ずはハンガリーのブダペストに支部が置かれ毎年のように指導に出向き、チェコ、ドイツなどに活動の場が広がっている。 P.120 「鎖橋 悠々たるや ドナウ川 明けゆく空に 水鳥の鳴く」 ブダペスト日々の早朝の稽古の折に P.133 「在るがまま 成るがまま見る 行先に 為すがまま生く 思ひ背負て」 田中光四郎短歌集は本人が訪ずれたアフガニスタン各地の地図、多くの写真とともに本人の口からは聞くことがない心情が記されている。この短歌集はロマンチストな武人、田中光四郎の半生記である。




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